有限会社敬愛サービスは、北海道江別市でグループホームを運営しています。
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総合施設長が挑む 専門職の道

死ぬということ

9月に入り、暑い日もあればぐっと気温が下がる日も出てきました。

私はまだ半袖で頑張っていますが、来週には一枚上に欲しい時期になるでしょう。

我がグループホームも急に秋めいてきました。

一気にコスモスが伸び咲き誇っています。コキアも赤く色づき始めて、夕陽もあり「秋だな~」とため息をつきたくなるようです。

畑も23日に芋ほりを予定していますが、それで今年はほとんど終わり。春から皆を愉しませてくれました。

さて、今日の本題です。
「死」とは誰も平等に訪れる、「老」と重なる我々専門職とは切っても切り離せないテーマでしょう。
特にグループホームの運営に携わっていると、看取りに関わることがたくさんあります。最後の瞬間に立ち会っていたら、「もっと色んなことができたんじゃないか」「あのとき〇〇してあげればよかった」「ありがとうって言ってくれてたし満足してもらえたかな」と色々な感情や言葉が沸き上がります。後悔だったり、安心だったり、寂しさだったり。

25年も続けてきました。

そのような感情を仕事外には持って帰らないようにトレーニングは受けてきたつもりですが、医療職とは経験数が圧倒的に少ないですし、良い意味で慣れることはできません。皆さんもそうではありませんか?
そして僕ももう、気付けば平均の半分も寿命が残っていない年齢です。

とまぁなんとなく遺書みたいな書き出しになってしまいましたが、決してそういうわけではなく。むしろ生でみなぎっているのですが、最近友人が事故で亡くなってしまって、仕事だけではなく私生活でも死を考えるようになりました。

友人は同い年でもう子育ても終わり、さぁこれから第二の人生、というときでした。だから心残りができるだけ少ないことを心の底から願っているのですが…。

彼とはもう何年も会っていませんでした。
お互い仕事の責任が重くなり、それに子育てが加わるとそうそう若い時みたいに遊ぶことはできません。
「んじゃまた」と酒を飲んで別れたのが、本当に最後になってしまいました。

これが最後と分かっていたら、良いお別れもできるでしょうが、残念ながら人間には予知能力がありません。多くの人は。
だから、悔いのないように毎日生活をする必要があるんでしょうね。

職員の研修で、私がよく言うことがあります。スティーブジョブズ氏の言葉を引用して、「明日もし死ぬことが分かっていれば、今日いつもと同じことをするか。もししないなら、今の生活の仕方は間違っている可能性がある」です。

死という言葉を使うので、けっこうオーバーに捉えられることがあるのですが、なんのことはない、日々後悔なく生きているかということなんです。
もし僕なら…いつもと同じことをしますね。家族と共に起き、家族と共に食事をし、出勤してスタッフと介護の話をし、夜は団らんして(明日で最後なら試験勉強だけはパスします)、家族と眠る。
少し酒の量や、塩分が増えるかもしれませんが。
と考えられるのは幸せな証拠なんでしょう。

人生何があるかわからない。でもより高みを目指すには、毎日の努力必要。そして後悔のないように、全力(だと息切れしますので、普段は6~8割くらい?)で生きていこうと思う最近です。
命を燃やせ、ですね。